Living with type 1 diabetes(1型糖尿病で生きる)

「1型糖尿病で生きる」 Key Am 作詞おにぎり 作曲おにぎり


何万人かに 一つだけの命  誰のものなのか 教えてはくれない
何万人かに 一つだけの命  並ぶ文字の 数字の上で生きる


涙と孤独で心を閉ざして 人目を避ける私がいる
もう一つの命で生きるため 涙を捨てて明日を生きてみよう
どう生きるのか どう生きたいのか 答えが有ることを 誰も教えてはくれない

  
悪いのは世間のせいにして  うまくいかないのは他人のせいにして
変えられない現実を受け入れて 違う世界から自分を見つめてみよう
どう生きるのか どう生きたいのか 答えがあることを 誰も教えてはくれない 


何万人かに 一つだけの命  誰のものなのか 教えてはくれない
何万人かに 一つだけの命  答えを探すまで 数字の上で生きる
何万人かに 一つだけの命  誰のものなのか 教えてはくれない
何万人かに 一つだけの命  私が私であるために 自分で自分の命で生きるーうーうー うー ・・・

としぴー、 令和4年12月25日の出来事

『としぴー、 令和4年12月25日の出来事』 KeyEm 作詞おにぎり 作曲おにぎり

 
僕は今 思うのさ 君が来た 日のことを
 二つ目の 誕生日 キャンドル揺れる 雪の夜
愛語る 恋人と 夢遊ぶ 子供達
 令和4年 12月 25日の 誕生日 
 何故 何故 何故 何故 私を 選んだの 
 何故 何故 何故 私の 何が いけないの・・・なぜ
  
君が来て 思うのさ 何気ない 毎日が 
 幸せで 尊いと 無くして知った 誕生日
母からの この体 無くす日が 来るなんて
 選ばれた 訳なんて 意味がないのに 探してる 
 何故、何故 何故、何故 私を 選んだの 
 何故、何故 何故、私の 何が いけないの・・・・

うつむいて 泣くことが 当然と 過ごしてる
 時間にも 愚痴言って 冷たい針に 愚痴言って
ポジティブを 解っても 結局は 進めない 
 取り敢えず 動くこと 必要なのは その勇気
 もう もう もう もう 過去は 変えられない
 今 今 今 今 未来を 動かそう・・・・
 手と 手と 手と 手と 繋いで 歩けたら
 今日 明日 何か 変わる 二つ目の 誕生日

僕は今 思うのさ 君が来た 日のことを
 二つ目の 誕生日 キャンドル揺れる 雪の夜
愛語る 恋人と 夢遊ぶ 子供達
 令和4年 12月 25日の 出来事 

type one my family

「type 1 my family 」 Cap2 Key/F#m 作詞おにぎり 作曲おにぎり

冷たい 針に あなたは託す 揺らぐ命 見守るだけなのよ
ガラスの瞳 無言のしぐさ そんなあなたに 代わってあげたいの
my family my family 負け る な
my family my family はば た け

まだ見ぬ明日に つまずかないように 世間の風を 受けてあげるわ
片手で余る  幸せの風に  乗せて欲しい  母は祈るの・・・
my family my family  人と比べるな
my family my family  振り帰るな
my family my family  空を見上げろ
my family my family  進め未来へ おー おー 

幸せのエンジェル&ユニコーン

「幸せのエンジェル&ユニコーン」 KeyC cap2 作詞おにぎり 作曲おにぎり


ポカポカ陽気の日曜日 インスタライブでニッコニコ
でーたーねー エーンージェル  でー たーねー ユーニーコン


ハラハラ数字の低血糖 急いで糖質 モーグモグ
でーたーねー エーンージェル  でーたーねー ユーニーコン


ドキドキ動悸の高血糖 急いで注射 チークチク
でーたーねー エーンージェル  でーたーねー ユーニーコン


シクシク泣いてる新人さん 仲間と出会ってワーイワイ
でーたーねー エーンージェル  でーたーねー ユーニーコン


辛い思いは引き受ける 笑顔に変えるおまじない
でーるーよー エーンージェル  でーるーよー ユーニーコン


ニッコニコ ハラハラ チークチク シクシク ワイワイ ニッコニコ
ゆーめーのー エーンージェル  ゆーめーのー ユーニーコン


きょうーはー しーあーわせ  あーすーも  しーあーわせ

Second life for IDDMのテーマl曲

「セカンドライフ フォー IDDM」Cap2 tep65 作詞おにぎり 作曲おにぎり


セカンドライフ フォー IDDM

つらい時はつらいと つぶやいていんだよ


セカンドライフ フォー IDDM

泣きたい時は仲間が  いっしょに泣いてくれる

人はみな一人で 生きて行けないものだから

ありのままで 歩き出そう

セカンドライフ フォー IDDM

二度目のあなたの人生が 笑顔になるために


セカンドライフ フォー IDDM

寂しい時は仲間の 胸の中に包まれて

セカンドライフ フォー IDDM

悩み尽きないこの人生 仲間は今日も歩いてる


振り向いてくれない世の中で 素敵な笑顔の仲間たち
一歩と言わず半歩でも 歩いた自分を誉めよう


セカンドライフ フォー IDDM

二度目のあなたの人生が 笑顔になるために


セカンドライフ フォー IDDM

二度目のあなたの人生が ラララ・・・・・・・


ララララ・・ ララララ・・ララララー

ラララ・・ラララ ララ  ララ

ララララ・・ ララララ・・ララララー

ラララ・・ラララ ララ  ララ

母の形見を我が最期まで〜尊厳死を思う〜

 今年1月、母は享年92歳で他界。遺品であった2本の眼鏡のうち、まずは1本、修理に出していたのが出来上がった。生前の母は、書道が趣味で文字がとても上手、日記は勿論、携帯メールも入院中送っていたのです。母は少々値が張るメガネを買っていたのが壊れたため、2本目も作っていたのが入院中に壊してしまったー

そのうち2本目も修理して我が身の最期まで使う事にする~⭐︎

      ーーーーーエピローグーーーーー

 父は3年前、母は今年1月に他界。父母とも入院の際、姉二人と話し合って延命治療はしない、インフルエンザ・コロナワクチンの無接種、一般の緩和ケア希望とサインし、母は入院後約半年で他界した・・・

 今、父母に感謝の気持ちを語りたい

 入院時のサインした内容が、僕ら兄弟にそれぞれの遺恨になってしまうことを・・・シワだらけであった筈の顔が嘘のように艶があり、今にも微笑むような綺麗な顔。そして、父もとても安らかな顔が「それでいいんだよ」と心に語りかけてくれた・・・。

 そんな無言の別れを告げた父母の安らかな死顔は、親からの子への最後の愛情であったと確信してます。この眼鏡を手に持って、改めて「ありがとう」を遺影の前でお経と共に捧げた・・・

金運を呼び込む末尾番号「9・Z」のお札

末尾が9Zの紙幣、特に一万円札は最強だという・・・。年明けに、その有難い情報を入手して、誰にも言わずその日が来ることを小生は、ずーっと待っていたのである。給料は現金支給、本日令和6年10月25日のお給金の中から遂に!おいでくださいました福沢諭吉様〜☆

悪口陰口、両刃の剣、他人も己も傷を負う

 初盆、住職とお経を一緒に読経したー。我が家は「真言宗」翌日に菩提寺の納骨堂に足を運ぶと、掲示されている貼り紙に「悪口陰口、両刃の剣、他人も己も傷を負う」の文字が目に止まる。
 昔、広尾町に拠点を置いていた馬頭観音寺に信仰していたこのは、もう30年前の過去である。当時、住職も少々高齢ではあったが、いつも熱く語った「お経の意味」を何度も説教して頂いた、あの有難い教えを思い出し書いてみることにしよう

 生まれたきた全ての人間は、多くを苦しみ多くの悲しみを背負い生涯付きまとう。それを様々な努力で乗り越えて一生終える訳だ・・・その意味。人は其々ではあるが弱いものです。幸せにたどり着けるための知恵・教えが「お経」であり、仏様の教えを信じて人生を全うするための取説・・・。葬儀の時にお経を読むのは、死者に対する施しではなく、参列してお悔やみという時でないと、一般の人々は仏様の説教を聞く機会はないのです。人は必ず死を迎えるのは自然の道理であることを確認していく場でもあり、「死」という人間にとっての永遠の苦悩を、葬儀で参列しお経に接することで、生きて行くための知恵を授かるのが葬儀のお経だと・・・その様な説教であったと思うが、その後の小生の人生観に大きな影響を受けたのです。

 生きる知恵の教えの一つに、人間はジャングルや孤島で一人で一生終えることはなく、必ず他人と関係し沢山の人と出会いがある訳で、多ければ多いほど楽しいことも多いのだが、その反面、人間関係でつまずくことも多くなる。「四苦八苦」と説かれている苦しみの代用的なものが、人間関係から起因するものだという。


 馬頭観音寺の住職の説教の中で「悪口陰口、両刃の剣、他人も己も傷を負う」と言っていたのが、菩提寺の掲示板の貼り紙をみて思い出した。言葉には魂が宿るもの。人の人生も変えることもでき、苦しみ悲しから救う力もある。逆に、人を苦しめ命を奪うこともできる魔力もあるので、使い方次第では、いわいる「言刃」となってしまう。一旦、口から出した「言刃」は取り消すことができない・・・巡り巡って己に跳ね返り己自身を傷を付けると・・・

野の仏」と我が法人「セカンドライフ」

境内の扉を開けると、眩しく無言で金箔を纏った「観音様」が出迎えてくれる・・・さて

 田舎では誰も通らなくなってしまった道端に、長い年月、雨・風・雪にうたれたお地蔵様が草むらから笑っている。その昔し、貧しい農民、明日の命も約束されていない病弱な村人達が、最後の救いを必死で手を合わせたのである。そんな人々の身近の生活に寄り添い、生きる道を迷わないように道端に身を置き、観音様のご加護にたどり着ける道しるべの役目を負っているのが「野の仏」なのです。

 お金に余裕がある名士や豪商、武士などお寺の「霊験あらたな名だたる観音様」に祈願すのだが・・・

 我が法人セカンドライフも、孤独と絶望と不安から、新しい二度目の人生を迷わないような道しるべになれるような「野の仏」でありたいと思う